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モモ

 

モモ 時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語

モモ 時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語

 

 

 20年近く前に読んだ児童文学が、社会人として働いている最中にふと思い出されることがある。それはタクシー運転手の松井さんの運転席に置かれた夏みかんの匂いであったり、小さいモモちゃんのお父さんの靴が家を出ていくシーンの切なさであったり、色々だ。

 

当時知らない香りへの期待やふんわりとした感傷を思い起こさせるだけでも幼少期の読書経験バンザイ、というところであるが児童文学の皮をかぶった風刺小説の鋭いメッセージを感じて改めてスタンスを見つめ直すことがある。僕の読書経験上、ミヒャエル・エンデ「モモ」がその筆頭にあがる。

 

将来自分の子供に読ませたい本NO1であるこの物語は、いわば効率厨へのカウンターパンチであり、「時間を節約しなさい、無駄なことに人生を使ってはいけない」という一見もっともな教訓にかみつく狂犬のような小説である。時間貯蓄銀行を名乗る男たちが人々から時間を奪い、余裕を失った人々はコスパよく人生を送るようになる。そして生活から彩りが失われてしまい、時間の質を問うことが禁止される。挨拶なく通り過ぎる人々は増え、人間の形をした歯車が社会を回していくようになり…。というのが簡単なあらすじだ。

 

こうして序章を紹介しただけでも、このストーリーから読み取れるメッセージは平易だ。しかし、それを読み取る読解力がありながらも効率性の呪縛から逃れられない僕らにとっては、平易で即物的であるがゆえに痛烈な一撃でもある。そもそも「時間をせつやくしなければいけないよ」、とのたまう人物を「時間どろぼう」呼ばわりするエンデの謎感覚が素晴らしい。

 

とはいえ実のところ、今更モモを読み返して自分の行動規範が一変することはまずないし、社会人として働く以上効率厨から抜け出すことは難しい。隣人に会っても「あ…ッス…」みたいなリアクションを送る日々は今後も続くだろう。しかし視野が狭まる箱庭暮らしを強いられている以上、モモを読んで立ち位置を再確認する機会ぐらいあってもいいのではないか。松井さんの夏みかんマジ美味そうだったな、という思い起こしで行動やメンタルが少しでも変わる一日があるんじゃないか。そういう呼び起こしというか、幼少期を思い出させるトリガーとして、大人になってからの暮らしを支える無数の拠り所の中の一つとして児童文学は機能できるのではないかと思ったので紹介した。幼いころの記憶というのは、高校大学のそれと比べて意外と強く突き刺さる。

 

わたし大人だけどモモなんて幼女っぽい名前の児童文学読みたくない!というかたは「自由からの逃走/エーリッヒ・フロム」がオススメ。書いてあることは大体似通っている。

「読まなくてもいい本」の読書案内

 

「読まなくてもいい本」の読書案内:知の最前線を5日間で探検する (単行本)

「読まなくてもいい本」の読書案内:知の最前線を5日間で探検する (単行本)

 

 

 

世界名文学100選や教科書に載っているような小説でも読んでみたらあんまり面白くなかったです、というのはよくある話である。小説に限らず、古典に敢えて傾倒する人は純粋な面白さというよりも歴史的な価値やなんとなくイケてるという心理から古典を手に取るケースが多いのではないかと思う。僕は高校時代頑張って読んだダンテの「神曲」がまったく面白くなくて挫折した苦い思い出があります。

 

いかに優れた書き手でも、文学のテーマと人生の時間が有限である以上、作品は世に出した瞬間から消費され模倣され、ジェネリックにシェアを奪われる先発医薬品のように価値の希薄化から逃れることはできない。本書はその「時の淘汰」を逆手にとって、じゃあ今読む必要がない本って何なのよ、という問いかけに答える形で進んでいく。

 

もっとも小説ではなく哲学などの学術分野がメインテーマである。小説よりも線形上に発展していく分野ということで読者の解釈というブレがなく筋をしっかり通している。また、本書は現在の最新理論で旧理論を再解釈するチートプレイであるともいえるため、見ていてすがすがしい(デリダドゥルーズなどのポストモダン哲学徒をカオス理論で再解釈した第一章「複雑系」が白眉)。ゲーム理論行動経済学など橘玲のおなじみシリーズもあるが、古典との対比というフィールドで論じられたのは少ないのではないかと思う。

 

本書は、全体を通して無駄を切り捨てる覚悟というか、論理があれば古典なんて読まなくてもいいよね、という赦しをあたえる良書であるといえる。もっとも「読まなくてもいい本」をあげつらう内容でありながら結びに参考図書をあげまくって読書意欲をあおるというトラップが仕込まれているため、一筋縄ではいかないが。

コーヒーもう一杯

 

コーヒーもう一杯

コーヒーもう一杯

 

 

 

大学生の時の話だが、僕は村上龍が好きだった。革命派の生態系をグロテスクに描き切り、主人公が社会基盤を鮮やかに切り崩す姿を描いた小説は刺激的で、大学生のころの謎の全能感と相まってどっぷりはまっていた。一方でミステリーやこの手のホンワカ小説はほとんど読んでいなかった。革命派の破天荒さとは無縁の、例えば陰陽師が活躍する京極堂シリーズなどはむしろ退屈そうで敬遠していた。長いし。

 

しかしなんとか就職して定められたレールをメンテナンスするような仕事に就くと、重松清村上春樹のような、当時退屈で空疎に思えた、日常をメンテナンスしていくような小説がいとおしく思えてきた。

 

本書は、200ページちょっとで終わる短編小説だ。

若者特有の強さと脆さを兼ね備えた大学生の主人公が197ページほどかけて人生の厳しさ、というか寂しさを突き付けられる。それでもラストの3ページで、その思い出を振り返るサイドに立った壮年の主人公がそれまでの全ての価値観、人生観を込めて、自身に覆いかぶさる思い出に彼なりの答えを叩きつける。Kindleでは108円で買えるので、この書評を読むよりぜひ購入して読んでほしい。1時間弱ぐらいで読めるので眠れない夜のお供にお勧め。

 

本書は、僕のような大学生あがりファッション社会人へのソウルジェムのメンテナンス小説であり、思い出に対するほろ苦い決別の一撃であった。書評を再開しようと思ったとき、真っ先に書こうと思ったのもこの本だ。